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上野泰(うえの やすし、大正7年(1918年)- 昭和48年(1973年)2月21日)は日本の俳人である。 横浜市の出身、立教大学経済学部卒、昭和17年、高浜虚子の六女、章子と結婚した。出征、復員の後、小諸に疎開中の虚子から俳句を学び、戦後の『ホトトギス』の新人として、野見山朱鳥と並び賞された。虚子から「泰の句に接すると世の中の角度が変わって現れてくる。」と評され、「新感覚派と呼んだらどんなものであろう。」と評された。家業の運送業の経営に加わりながら、昭和26年『春潮』を主宰した。昭和48年2月21日、癌のために急逝した。 ==代表句== * 「春眠の身の閂を皆外し」 * 「ふらここの宙を二つに割り遊ぶ」 * 「干足袋の天駆けらんとしてゐたり」 * 「海女として鉄道員の妻として」 ==句集== *『佐介』 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上野泰 (俳人)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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